第3回「カオサンの幻影~鴨志田穣さんの死を偲んで~」
(今から、約10年前、、、)
タイのバンコクの街外れ、カオサンロードには、不良外国人向けのバーが何軒も軒を連ねていた。
どの店も、半オープンカフェのような造りになっていて、でも、別にこれと言った特徴もなく、
メシも酒も、出されるメニューは、どの店もほぼ同じで、、、要するに、のっぺりとした
つまらない店ばかりなのであった。
しかし、ここに長居する旅人は、、、あるいは、ここに住み付いてしまった流れ者たちは、
どこかしらに、自分の行きつけの店を持っている。
アナーキスト(無政府主義者)を自称し、どんな枠にもハマりたくないと声高に訴える彼らでも、
わずか100m程度の一直線の中で、各々の「お気に入り」の店を見つけねばならないのだから、
よく考えれば、笑ってしまう。。。当然といえば当然だが、、、皮肉な話だ。
でも自由とは、、、大方そういうものなのだろうと、、、立派な誰かが言いそうだ。
ましてや、出会いとは、、、自分から出会わなけば何にも誰にも出会わないのだから、
結局は、人も店も街も、、、ナンパとか合コンとか、、、
それが、時と場所、、、そしてちょっと気分を変えただけなのだろう。
私が、ジロ吉と出会ったのは、そんなつまらない一軒の店先であった。
カオサンを訪れるのは、これですでに4回目。
しかも1年の間にもう4回も来ているのだから、
通りも店も、そしてここの住人も、別に変わっているはずもなく、、、
だから、ここに到着すると、すぐに私はやることを失ってしまう。
私は、まず「私なりの常宿」に荷物を下ろすと、部屋でタバコを一服して、30分後には、
「私なりのお気に入り」の店に腰を下ろしていた。
そうして、シンハービールをオーダーし、これといって熱の入らない気まぐれ読書をしてみたり、
まだ昼間だというのに、メコンウィスキーか何かに手を出して、意味の無いため息を繰り返したり、、、
そんなことをして、無駄に時間を潰していた。
酔いたかった。特に悲しいことや不幸なことを背負っているわけでもなかったけれど、、、
とにかく、ただ、、、酔いたかった。。。
ある時、サマセット・モームの小説『月と6ペンス』か何かを読みながら、3本目の
シンハーをオーダーしようと本をテーブルの上に置くと、、、足元に、そいつがいた。
デカい! 何ともバカでかく、薄汚い犬だった。
しかも、こっちが気づいたというのに、
犬の方では、別にどうでもいいらしく、まったくこちらを見ようとしない。
だか、しかし、犬が静かに呼吸する度に、皮膚病で毛の抜け落ちたそいつのお腹が
わずかに膨らんで、私のつま先に軽く触れる、、、それほど、ヤツは私の至近距離で堂々と
くつろいでいるというのに、私は、そいつがいつからそこにいたのかさえ、まったく気づかずにいた。
「勝手にしやがれ!オレも勝手に飲むんだから!」
しかし、なかなか3本目のビールは来なかった。
私は、退屈しのぎに、テーブルの上の皿に残っていたチキンの切れ端を
そのズウ体のバカでかい犬のツラ横に、ポトリを落としてみた。
犬は、、、チラッと私の顔を一瞥して、それから肉をジロっと見て、、、
しかし、いまだ微動だにせず、ただ一定の腹の呼吸を繰り返している。
そうして、肉からもおもむろに目を離しやがった。
「ちぇッ、このジロ吉めッ!バカにしていやがる!!」
ようやく届いたシンハービールをビンごとラッパ飲みして、私は、また本のページを開いた。
翌日、比較的、朝早く目が覚めて、私は店がオープンするのを待ち、
決まりきった朝食のベーコン&Wエッグを食べに出かけた。
「今日は、北に向うバスに乗ろう!」
別に目的地は、どこでもよかった。
どこへ行っても同じだ、でも、どの町にもそれなりの発見と見所、そして
ささやかな出会いがあるかも知れない、、、そういう、未達の者ゆえに許される幻影があった。
店に着き、昨日と同じ席に座り、もったえぶってメニューなんか、見る振りをしていると、、、
いつもの、右腕に蛇とバラの刺青をした、しっとりロン毛の無愛想な店員が、やって来た。
私:「あ~ん、、、ぶれっくふぁーすと、、、ナンバー、、、」
店員:「ナンバー3!? あんど カフェローン(ホットコーヒー)!)」
私:「い、、、イエス。。。」
ああ、何とも不愉快な朝だ!
すべてが、、、マンネリ大学教授の使い古されたノートのように、、、
思ったとおりのやり取りだった。
「ちぇッ、明日はもうココには居ないんだから、、、」
ふと気が付くと、まったく昨日と同じように、私の足元に、ジロ吉はいた。
当たり前だが、、、相変わらずデカい、、、ズウ体もそうだし、態度というか、
その寝そべり方が何ともふてぶてしく、、、そうして、体の半分は毛が抜け落ちていた。
~昨日の肉、けっきょく食ったんだろうか、、、まあいいや、ここはジロ吉の定位置で、
こちらが邪魔をしてるって考えれば、、、お前がココの主ってことだ。。。~
2枚しかないベーコンを、わざと1枚残し、ジロ吉の横にそっと置いて、勘定を
済ませて宿に帰った。そして、荷物をまとめ、長距離バスステーションに向った。
それから、3年か4年かが過ぎ、私もそれなりにちょっとした不運や些細な不幸ってのを
知ったつもりになって、、、再びここを訪れた。
というより、バンコクで他にどこに泊まればいいのか、私には全く見当がつかなかっただけなのだが。
すでにカオサンは、かつてのジャンキー・ストリートの面影すら、ほとんど消えかかっていた。
もう、あの店にも、マリファナをくわえながら、気だるそうにオーダーを取りに来る刺青の
店員もいなければ、ダレダレのTシャツによだれを粘っこく垂らしながら、
「女とヘロイン、セットで1500バーツ!」というのが口癖の、
ヤク中のスウェーデン人じいさんもいない、、、
だが、他に宿泊する場が見つからないように、、、やはり、朝飯と寝酒の場所は、
その店以外に思いつかなかった。。。
でも、別に偶然でもなんでもなく、同じ席に座れば、、、やはりそこにジロ吉はいた。
ますます、毛は抜け落ちて、もう首の上としっぽの所だけが茶色で、、、あとは
ブタのようなピンク色の地肌と、その上に不吉な黒い斑点がホルスタインのように乗っかっていた。
「よう!久しぶりだなぁ!」
私は、何だか嬉しくなって、相変わらずの彼の無愛想も、むしろちょっぴり逞しく、、、
うらやましくさえ見えたりした。
そうして、また、フライドチキンの骨付きなんかを一切れ、ジロ吉の横に置いて
満足気に宿に戻った。
だが、翌日、私は他の場所で飲みすぎて、明方の4時頃にカオサンに戻ってきた。
そうして、ふらつく足取りで、自分の宿へと向おうとした、、、
するとその時、暗がりの中で、黒い影が2つ、サッと通りをかすめた。
そして、細い路地から、けたたましい犬の叫び声が、その暗がりにこだました。
私は、何の気なしに立ち止まり、、、眠い目をこすりながら、路地の方に目をやった。
そこには、、、あのジロ吉が、自分よりも2回りも小さいであろう黒犬に喉元を
噛みつかれながら、、、いや、噛み切られながら、、、どくどく濁った血を流していた。
「うぅぅぅ~」
ジロ吉は、その毛の抜け落ちた尻を震わせながら、完全に負けているにもかかわらず、
まだ低い声でうなっていた、、、
私は、何だか友達の命がけの決闘を見ているような気持ちになって、
勝手に飛び入りで参戦し、相手の黒犬を追い払おうかと、声をあげようとした。
しかし、その時、暗がりに慣れて来た私の目には、ジロ吉の口元にある、一つの肉の塊が
目に入った。肉から突き出した、チキンの骨のシルエットが、はっきりと目に映った。
肉、、、!?
あれほどまでに、食い気に無頓着だったジロ吉が、この肉一片の争いで瀕死の重傷を
負っている。。。
私は、急に全身の酒が抜けて行くのを感じた。
争いは、、、生きるってことは、、、
いや、そんな大そうなものではない、、、
欲しいのだ、その肉が!!
「犬も犬なら、人も人だ、なッ、ジロ吉!」
私は、すでに絶望的な体勢のジロ吉の健闘を祈りつつ、黙ってその場を後にした。
翌朝、あの店の定位置には、足にびっこを引き、首の痛みをこらえて「うぅぅ~」と低く唸る
敗者ジロ吉の姿が、、、私の足の下で寝そべって、あいつは、時折、遠い目をしていた。
タイのバンコクの街外れ、カオサンロードには、不良外国人向けのバーが何軒も軒を連ねていた。
どの店も、半オープンカフェのような造りになっていて、でも、別にこれと言った特徴もなく、
メシも酒も、出されるメニューは、どの店もほぼ同じで、、、要するに、のっぺりとした
つまらない店ばかりなのであった。
しかし、ここに長居する旅人は、、、あるいは、ここに住み付いてしまった流れ者たちは、
どこかしらに、自分の行きつけの店を持っている。
アナーキスト(無政府主義者)を自称し、どんな枠にもハマりたくないと声高に訴える彼らでも、
わずか100m程度の一直線の中で、各々の「お気に入り」の店を見つけねばならないのだから、
よく考えれば、笑ってしまう。。。当然といえば当然だが、、、皮肉な話だ。
でも自由とは、、、大方そういうものなのだろうと、、、立派な誰かが言いそうだ。
ましてや、出会いとは、、、自分から出会わなけば何にも誰にも出会わないのだから、
結局は、人も店も街も、、、ナンパとか合コンとか、、、
それが、時と場所、、、そしてちょっと気分を変えただけなのだろう。
私が、ジロ吉と出会ったのは、そんなつまらない一軒の店先であった。
カオサンを訪れるのは、これですでに4回目。
しかも1年の間にもう4回も来ているのだから、
通りも店も、そしてここの住人も、別に変わっているはずもなく、、、
だから、ここに到着すると、すぐに私はやることを失ってしまう。
私は、まず「私なりの常宿」に荷物を下ろすと、部屋でタバコを一服して、30分後には、
「私なりのお気に入り」の店に腰を下ろしていた。
そうして、シンハービールをオーダーし、これといって熱の入らない気まぐれ読書をしてみたり、
まだ昼間だというのに、メコンウィスキーか何かに手を出して、意味の無いため息を繰り返したり、、、
そんなことをして、無駄に時間を潰していた。
酔いたかった。特に悲しいことや不幸なことを背負っているわけでもなかったけれど、、、
とにかく、ただ、、、酔いたかった。。。
ある時、サマセット・モームの小説『月と6ペンス』か何かを読みながら、3本目の
シンハーをオーダーしようと本をテーブルの上に置くと、、、足元に、そいつがいた。
デカい! 何ともバカでかく、薄汚い犬だった。
しかも、こっちが気づいたというのに、
犬の方では、別にどうでもいいらしく、まったくこちらを見ようとしない。
だか、しかし、犬が静かに呼吸する度に、皮膚病で毛の抜け落ちたそいつのお腹が
わずかに膨らんで、私のつま先に軽く触れる、、、それほど、ヤツは私の至近距離で堂々と
くつろいでいるというのに、私は、そいつがいつからそこにいたのかさえ、まったく気づかずにいた。
「勝手にしやがれ!オレも勝手に飲むんだから!」
しかし、なかなか3本目のビールは来なかった。
私は、退屈しのぎに、テーブルの上の皿に残っていたチキンの切れ端を
そのズウ体のバカでかい犬のツラ横に、ポトリを落としてみた。
犬は、、、チラッと私の顔を一瞥して、それから肉をジロっと見て、、、
しかし、いまだ微動だにせず、ただ一定の腹の呼吸を繰り返している。
そうして、肉からもおもむろに目を離しやがった。
「ちぇッ、このジロ吉めッ!バカにしていやがる!!」
ようやく届いたシンハービールをビンごとラッパ飲みして、私は、また本のページを開いた。
翌日、比較的、朝早く目が覚めて、私は店がオープンするのを待ち、
決まりきった朝食のベーコン&Wエッグを食べに出かけた。
「今日は、北に向うバスに乗ろう!」
別に目的地は、どこでもよかった。
どこへ行っても同じだ、でも、どの町にもそれなりの発見と見所、そして
ささやかな出会いがあるかも知れない、、、そういう、未達の者ゆえに許される幻影があった。
店に着き、昨日と同じ席に座り、もったえぶってメニューなんか、見る振りをしていると、、、
いつもの、右腕に蛇とバラの刺青をした、しっとりロン毛の無愛想な店員が、やって来た。
私:「あ~ん、、、ぶれっくふぁーすと、、、ナンバー、、、」
店員:「ナンバー3!? あんど カフェローン(ホットコーヒー)!)」
私:「い、、、イエス。。。」
ああ、何とも不愉快な朝だ!
すべてが、、、マンネリ大学教授の使い古されたノートのように、、、
思ったとおりのやり取りだった。
「ちぇッ、明日はもうココには居ないんだから、、、」
ふと気が付くと、まったく昨日と同じように、私の足元に、ジロ吉はいた。
当たり前だが、、、相変わらずデカい、、、ズウ体もそうだし、態度というか、
その寝そべり方が何ともふてぶてしく、、、そうして、体の半分は毛が抜け落ちていた。
~昨日の肉、けっきょく食ったんだろうか、、、まあいいや、ここはジロ吉の定位置で、
こちらが邪魔をしてるって考えれば、、、お前がココの主ってことだ。。。~
2枚しかないベーコンを、わざと1枚残し、ジロ吉の横にそっと置いて、勘定を
済ませて宿に帰った。そして、荷物をまとめ、長距離バスステーションに向った。
それから、3年か4年かが過ぎ、私もそれなりにちょっとした不運や些細な不幸ってのを
知ったつもりになって、、、再びここを訪れた。
というより、バンコクで他にどこに泊まればいいのか、私には全く見当がつかなかっただけなのだが。
すでにカオサンは、かつてのジャンキー・ストリートの面影すら、ほとんど消えかかっていた。
もう、あの店にも、マリファナをくわえながら、気だるそうにオーダーを取りに来る刺青の
店員もいなければ、ダレダレのTシャツによだれを粘っこく垂らしながら、
「女とヘロイン、セットで1500バーツ!」というのが口癖の、
ヤク中のスウェーデン人じいさんもいない、、、
だが、他に宿泊する場が見つからないように、、、やはり、朝飯と寝酒の場所は、
その店以外に思いつかなかった。。。
でも、別に偶然でもなんでもなく、同じ席に座れば、、、やはりそこにジロ吉はいた。
ますます、毛は抜け落ちて、もう首の上としっぽの所だけが茶色で、、、あとは
ブタのようなピンク色の地肌と、その上に不吉な黒い斑点がホルスタインのように乗っかっていた。
「よう!久しぶりだなぁ!」
私は、何だか嬉しくなって、相変わらずの彼の無愛想も、むしろちょっぴり逞しく、、、
うらやましくさえ見えたりした。
そうして、また、フライドチキンの骨付きなんかを一切れ、ジロ吉の横に置いて
満足気に宿に戻った。
だが、翌日、私は他の場所で飲みすぎて、明方の4時頃にカオサンに戻ってきた。
そうして、ふらつく足取りで、自分の宿へと向おうとした、、、
するとその時、暗がりの中で、黒い影が2つ、サッと通りをかすめた。
そして、細い路地から、けたたましい犬の叫び声が、その暗がりにこだました。
私は、何の気なしに立ち止まり、、、眠い目をこすりながら、路地の方に目をやった。
そこには、、、あのジロ吉が、自分よりも2回りも小さいであろう黒犬に喉元を
噛みつかれながら、、、いや、噛み切られながら、、、どくどく濁った血を流していた。
「うぅぅぅ~」
ジロ吉は、その毛の抜け落ちた尻を震わせながら、完全に負けているにもかかわらず、
まだ低い声でうなっていた、、、
私は、何だか友達の命がけの決闘を見ているような気持ちになって、
勝手に飛び入りで参戦し、相手の黒犬を追い払おうかと、声をあげようとした。
しかし、その時、暗がりに慣れて来た私の目には、ジロ吉の口元にある、一つの肉の塊が
目に入った。肉から突き出した、チキンの骨のシルエットが、はっきりと目に映った。
肉、、、!?
あれほどまでに、食い気に無頓着だったジロ吉が、この肉一片の争いで瀕死の重傷を
負っている。。。
私は、急に全身の酒が抜けて行くのを感じた。
争いは、、、生きるってことは、、、
いや、そんな大そうなものではない、、、
欲しいのだ、その肉が!!
「犬も犬なら、人も人だ、なッ、ジロ吉!」
私は、すでに絶望的な体勢のジロ吉の健闘を祈りつつ、黙ってその場を後にした。
翌朝、あの店の定位置には、足にびっこを引き、首の痛みをこらえて「うぅぅ~」と低く唸る
敗者ジロ吉の姿が、、、私の足の下で寝そべって、あいつは、時折、遠い目をしていた。