トロッコ
昔、国語の教科書に、芥川龍之介の「トロッコ」という小説があって、
どこまでも続く一すじの線路を眺めていると、不図した時に、それを思い出すことがある。
私の勝手な記憶によれば、それは確か、以下のような話だったように記憶している。
一人の幼い少年が、若い鉄道工事の工夫に声をかけ、作業用のトロッコに乗せてもらうことに
まんまと成功した。トロッコは、ものすごい勢いで山道下って行く。
その瞬間、少年は、たいした努力もせずに手に入れたこの幸福な時間と
頬を切る爽快な風に、自分の幸福を全身で感じる。
しかし、トロッコが先へ走れば走るほど、その幸福はいつしか不安へと変化し、
この道をいつか引き返さねばならない憂鬱へと変わって行く。
そして、坂道を降りきったところで、少年は鉄道工夫から、「おまえはそろそろ帰れ!」という、
最悪の帰路を宣告される、、、
少年は、日が暮れかけた上り坂の山道を涙と悔しさ(?)をこらえながら、ひとり懸命に
線路を辿って家路へとひた走って行く、、、
確かそんな話だった(少し違っているかもしれない)。
私は、とても臆病でずるい人間だから、これまでおそらく、唯の一度も、
人様のトロッコに進んで乗りたいと思ったことはない。
(だがしかし、不図気付くと、飛行機に乗せられていることはある。)
私は、とても卑怯でずるい人間だから、これまで何度も、自分の
トロッコに人様を乗せて、無責任で思いつきの時間を経過した後、
「おまえはそろそろ帰れ!」と言い放ったことがある。
だから、私は、とても卑怯でずるい人間だから、そうした事を思い返し、
それを人生のひとつの教訓とすら数えている。
どこまでも続く一すじの線路を眺めていると、不図した時に、それを思い出すことがある。
私の勝手な記憶によれば、それは確か、以下のような話だったように記憶している。
一人の幼い少年が、若い鉄道工事の工夫に声をかけ、作業用のトロッコに乗せてもらうことに
まんまと成功した。トロッコは、ものすごい勢いで山道下って行く。
その瞬間、少年は、たいした努力もせずに手に入れたこの幸福な時間と
頬を切る爽快な風に、自分の幸福を全身で感じる。
しかし、トロッコが先へ走れば走るほど、その幸福はいつしか不安へと変化し、
この道をいつか引き返さねばならない憂鬱へと変わって行く。
そして、坂道を降りきったところで、少年は鉄道工夫から、「おまえはそろそろ帰れ!」という、
最悪の帰路を宣告される、、、
少年は、日が暮れかけた上り坂の山道を涙と悔しさ(?)をこらえながら、ひとり懸命に
線路を辿って家路へとひた走って行く、、、
確かそんな話だった(少し違っているかもしれない)。
私は、とても臆病でずるい人間だから、これまでおそらく、唯の一度も、
人様のトロッコに進んで乗りたいと思ったことはない。
(だがしかし、不図気付くと、飛行機に乗せられていることはある。)
私は、とても卑怯でずるい人間だから、これまで何度も、自分の
トロッコに人様を乗せて、無責任で思いつきの時間を経過した後、
「おまえはそろそろ帰れ!」と言い放ったことがある。
だから、私は、とても卑怯でずるい人間だから、そうした事を思い返し、
それを人生のひとつの教訓とすら数えている。